入居者から退去の連絡が入った瞬間から、敷金精算は始まっています。敷金精算の実務は、立会いで損耗の事実を確認し、負担を仕分け、精算書で根拠を示し、明渡し後すみやかに返還する。この順番を守ることに尽きます。退去通知から返還までの手順と、精算書の作り方を順に解説します。
※本記事は一般的な仕組みを解説するものです。登場する事例・金額はすべて架空のモデルです。個別の税務・法務相談ではありません。
→ 賃貸経営の全体像は 賃貸経営の全体像 にまとめています。
この記事でわかること
- 退去通知から敷金返還までの6つのステップ
- 立会いの前に揃えておく記録と、当日にやること・やってはいけないこと
- 負担区分の仕分けと、経過年数を使った借主負担額の計算式
- 精算書に書く項目と、返還の期日の考え方(民法622条の2)
- 敷金精算の税務。預り金・収入計上・修繕費の3つの要点
1. 敷金精算の全体像──退去通知から返還までの6ステップ
まず法律上の枠組みを確認します。敷金は、家賃の未払いなどに備えて貸主が預かるお金で、賃貸借が終了して部屋の明渡しを受けたときに、未払家賃などの債務を差し引いた残額を返さなければなりません(民法622条の2)。先に明渡しを受け、それから精算して返す。この順番は条文で決まっています。
実務の流れは次のとおりです。
敷金精算の6ステップ
- 1退去通知を文書で受ける退去予定日・立会い日時・転居先・返金口座を確認する
- 2入居時の記録を揃える契約書の特約・入居時チェックシート・入居時の写真・修繕履歴
- 3退去立会い損耗の事実を確認し、写真とサインを残す。鍵を全数回収する
- 4負担の仕分けと見積り貸主負担と借主負担に分け、経過年数を反映して金額を出す
- 5精算書の作成・送付根拠と内訳を書面で示す。貸主負担分も見せる
- 6敷金の返還差引残額を振り込む。所要期間は先に伝えておく
「通常の傷みは貸主負担」という負担区分の原則や、特約が有効になる条件といった基礎知識は、敷金トラブルを防ぐ──原状回復ガイドラインと4つの基本知識 にまとめています。この記事は手順に絞って進めます。
2. 立会いの前に──入居時の記録を揃える
退去通知は、必ず文書やメールなど記録が残る形で受けてください。電話だけで済ませると、退去日をめぐる「言った・言わない」の火種になります。受けるときに、退去予定日・立会い日時・退去後の連絡先・敷金の返金口座まで確認しておくと、後の手戻りがありません。
立会いまでに手元に揃えるものは4つです。
- 賃貸借契約書──クリーニング特約や敷金償却など、精算に関わる特約条項を読み直す
- 入居時チェックシート──入居時からあった傷・汚れの申告記録。精算から除外する目安になる
- 入居時の日付入り写真──退去時の状態と見比べる比較の起点
- 修繕履歴──前回いつクロスを張り替えたか。経過年数の計算の起点になる
損耗が入居中に生じたことの立証責任は、貸主側にあります。入居時の記録がなければ、「その傷は最初からあった」と言われたときに反論する材料がありません。
3. 退去立会い──その場では「事実の確認」だけをする
立会いは、荷物の搬出と掃除が終わった状態で行います。部屋ごとに壁・天井・床・建具・設備を順に見て、損耗をチェックリストに記録し、写真を撮ります。1つの損耗につき、部屋全体・中間・アップの3カットを目安にすると、後から位置と程度の両方を示せます。負担額は面積単位の計算になるため、損耗のある面の寸法も測っておきます。
ここでの鉄則は、その場では損耗の事実確認だけを行い、金額の合意を迫らないことです。借主には「どこに、どんな損耗があるか」を確認したサインをもらいます。借主が「これは自然な傷みだ」と主張したら、その主張ごと記録すれば足ります。誰が負担するか・いくらかの判定は、見積りが出てから書面で示します。その場で金額まで決めさせると、後から「冷静に判断できない状況だった」と合意を争われる原因になります。
あわせて立会い当日にやることが2つあります。
- 鍵の全数回収──合鍵を含めて回収し、本数と日時を記録する。鍵の返却が明渡しの区切りになる
- 残置物の確認──荷物が残っていれば、所有権を放棄する旨の書面をもらう。書面なしに勝手に処分すると賠償問題になりうる
未払家賃がある場合は、敷金から差し引くことができます(民法622条の2)。滞納が残ったままの退去は、家賃滞納への対応手順 もあわせて確認してください。
4. 負担区分の仕分けと金額の計算
立会いで確認した損耗を、貸主負担と借主負担に仕分けます。大原則は、ふつうに住んでいて生じた傷み(通常損耗)と年月による劣化(経年変化)は貸主負担、借主の故意・過失や手入れ不足によるものだけが借主負担です(民法621条)。実務の基準は国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」で、負担区分の詳しい考え方は 姉妹記事の基礎知識編 に譲ります。
精算の実務で使うのは、次の計算式です。
借主負担額 = 補修の単価 × 損耗のある面の面積 × 経過年数による負担割合
ガイドラインは、壁紙(クロス)などについて「6年で残存価値1円」となるように、経過年数に応じて借主の負担割合を減らす考え方を取っています。入居3年ならおおむね半分、6年を超えると借主負担はほとんど残りません。
【モデル事例】4年住んだ入居者が、クロスの2面(合計13平方メートル)に引っかき傷を残して退去しました。張替え単価を仮に1平方メートルあたり1,300円、4年経過の負担割合を40%とすると、借主負担は 1,300円 × 13平方メートル × 40% = 6,760円。部屋全体を張り替えたとしても、借主に請求できるのはこの範囲です。
一方で、フローリングの部分補修、畳表や襖紙のような消耗品、鍵の紛失によるシリンダー交換、クリーニングのように、経過年数を考慮しない類型もあります。損耗ごとの扱いはガイドラインの負担区分表で個別に確認してください。
クリーニング特約や敷金償却(敷引き)特約がある場合は、契約書の記載と契約時の説明がそろっていることを確かめたうえで、精算書に根拠となる契約条項を明記します。特約が有効になる条件も姉妹記事で解説しています。
5. 精算書の作り方と返還の期日
仕分けと見積りができたら、敷金精算書を作って送ります。書く項目は次のとおりです。
- 預かっている敷金の額
- 未払家賃・日割家賃などの精算額
- 損耗ごとの内容・負担者(貸主か借主か)・金額
- 特約に基づく控除(クリーニング代・敷金償却)と、根拠になる契約条項
- 差引返還額・振込先・支払予定日
- 添付書類(立会いチェックリストの写し・写真)
ポイントは、貸主負担分も隠さず載せることです。「全体でこれだけの工事のうち、借主負担はこの部分だけ」と見えると、借主の納得を得やすくなります。異議がある場合の連絡期限(到着後1週間程度)も書いておくと、やり取りが書面で整理されます。
返還の期日について、民法は「明渡しを受けたときに残額を返す」と定めるだけで、何日以内という期限は定めていません。契約書に定めがあればそれに従います。実務では、見積りの取得から精算書の送付・返金まで1か月程度かかることが多いため、所要の見込みを立会いのときに伝えておくと、「返してくれない」という不信を防げます。返還額に争いのない部分を先に振り込んでしまうのも、交渉を硬直させない有効なやり方です。
話し合いがまとまらないときの出口(消費生活センター・少額訴訟)は、基礎知識編 で解説しています。
6. 敷金精算の税務──3つの要点
最後に税務です。要点は3つだけ覚えてください。
- 預かった敷金は収入ではない──返す前提のお金なので、受け取った時点では預り金として扱う
- 返さないことが確定した部分は、確定した日の収入──契約時から返さないと決まっている償却部分は契約時に、退去時の精算で借主負担に充てた部分は退去時に、不動産所得の収入に計上する
- 支払う原状回復工事費は修繕費──元に戻す工事はその年の必要経費。グレードアップ部分は資産に計上して減価償却する。区分の考え方は 構築物・附属設備・修繕費の分け方 へ
不動産所得の計算全体の流れは 大家の所得税 にまとめています。
まとめ
- 敷金は精算して返すお金。先に明渡しを受け、未払家賃などを差し引いた残額を返す(民法622条の2)
- 立会いの前に、契約書の特約・入居時チェックシート・入居時写真・修繕履歴の4点を揃える
- 立会いでは事実確認とサインまで。金額の合意はその場で迫らず、見積りが出てから書面で示す
- 借主負担は「単価 × 面積 × 経過年数の負担割合」で計算する。クロスは6年で残存価値1円が目安
- 精算書は貸主負担分まで見せて根拠を示す。返還までの所要期間は先に伝え、争いのない部分は先に返す
- 税務は「預り金・確定した日に収入・工事費は修繕費」。相殺せず両建てで記帳する
次に読む:敷金トラブルを防ぐ基礎知識/構築物・附属設備・修繕費の分け方/大家の所得税/入居者死亡と残置物の扱い/賃貸経営の全体像
出典
- 民法621条(賃借人の原状回復義務)・622条の2(敷金)
- 国土交通省「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」(平成23年8月)
- 国税庁タックスアンサーNo.1370「不動産収入を受け取ったとき(不動産所得)」・No.1376「不動産所得の収入計上時期」
- e-Gov法令検索・国土交通省・国税庁ウェブサイト(確認日:2026年8月7日)
※負担区分・特約の有効性・精算金額は、契約内容と損耗の状況によって個別に判断が分かれます。本記事は一般的な手順の解説です。精算で争いになりそうなとき、税務処理に迷うときは、契約書と記録を揃えたうえで専門家にご相談ください。
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